世界初の自動巻きクロノグラフムーブメントはエルプリメロでしょうか?
1、キャリバーの開発
1960年代初頭、まだ自動巻きクロノグラフのキャリバーは存在しなかった。
当時の技術水準では、[クロノグラフ]と[自動巻き]双方の機能を有するキャリバーを開発するのは、技術的・人的に又予算的に困難であった。
2、時計メーカーの共同開発
[自社独自]で開発するのは困難であると判断し、各メーカーは[グループ開発]を試みた。
そのグループは、
第一グループ
ブライトリング、ハミルトン-ビューレン、ホイヤー-レオニダス、デュボイデプラッツの4社。
内訳
ビューレン社がベーシックムーブメントを開発(マイクロロータ式自動巻き)。
#ビューレンの"Intramatic 1280" 又は "Intramatic 1322"を採用。
デュボイデプラッツ社がクロノグラフモジュールを開発。
#クロノグラフモジュール8510を"を開発採用。
ブライトリング、ハミルトン、ホイヤー-レオニダス社が完成部品を組み立てた。
第二グループ
ゼニス、モバードの2社
内訳
ゼニス社がユニバーサル社の子会社的存在であった、クロノムーブメントメーカーのマーテル社を買収し、
実質的な開発はマーテル社により行われた(モバード社はゼニス社の買収による支配を受けていた)。
両グループは1969年にキャリバーを開発した。ブライトリング連合は[キャリバー11、133/4"]を1969年3月3日に発表した。
同年5月には、セイコーがCal.6139を使った自動巻きクロノグラフを発表した。
同年9月に、ゼニス連合はあの[エルプリメロ 、キャリバー3019PHC]を発表した。
実際には、cal.11はエルプリメロより半年早く開発したが、
ゼニス社は
「Cal.11は初の自動巻き用クロノグラフモジュールである」として、
「フルに新設計な自動巻きクロノグラフはエルプリメロである」と主張している(セイコーのCal.6139については言及していない)。
(エルプリメーロはゼニスcal.146の発展型という説も在り)##エルプリメロはスペイン語のEL PRIMERO で[一番]や[最初]と言う意味です。
これは男性名詞型です。いつかは女性用のクロノグラフムーブメント[LA PRIMERA]ラ プリメーラ(女性名詞)が
発表されるでしょう。
3、特徴
ブライトリング連合のキャリバー11(後にキャリバー12に移行)の特徴は、
1、 竜頭が左で、クロノボタンが右。
2、 インダイアルは2つ(2つ目)、日付カレンダー有す。
3、 秒針はクロノグラフ用のみ。クロノグラフと独立した秒針はない。
(訂正:cal.15には永久秒針がありました)4、 マイクロローター(釣りの重りのような物)による、自動巻き機構。
5、 クロノ機構部分と基本機構部分が分割され、双方は積層され3つのネジで固定されている。
キャリバー11系を利用した時計の画像。
キャリバー15の画像。
自動巻き用のマイクロ ローターは見えない(一部部品の欠損がある、機能する)。
この写真だけでは、自動巻きのローターが見えないため手巻きキャリバーと識別される。
4、 そして名機は…
ブライトリング連合は、キャリバー11の開発に、総額50万スイスフランと4年の歳月や技術者を投じた。
自動巻きのマイクロローターの動きが悪く、ゼンマイの巻きが弱い、という欠点もあったが、決して
悪い機械ではなかった(精度はクロノメータ規格級であった)。
さて、Cal.11とエルプリメーロが完成した年に、日本のセイコーが新しい時計の開発に成功した。
クオーツ腕時計!
クオーツ腕時計は量産化により、1970年代に劇的に安くなった。
日本や香港製クオーツ時計の躍進がスイスを強襲した。腕時計が贅沢品であった時代は終わった。
Cal.11の投資は回収できなかった。
その結果は、
1、ブライトリング 1979年8月に工場閉鎖(倒産)し資本移行。
2、ハミルトン 1972年 USA資本からスイス資本に買収される。
3、ホイヤー-レオニダス 1985年 資金難のため、TAG社と提携し(吸収合併された)、社名はタグホイヤーとなる。
4、デュボイ デプラッツ 現在も現役でクロノグラフモジュールを開発生産している。
#ライバルのゼニス社も1972年にUSA資本に買収され、エルプリメーロは1982年迄の10年間生産中止された。
[キャリバー11]のライバル、[エルプリメーロ]は、現在も改良を繰り返し、継続して使用されている。
ROLEXのDAYTONAは自動巻きに進化した際、[エルプリメーロ]を採用した。
しかし、[キャリバー11]を始祖とするキャリバーを搭載した時計は、ブライトリング社では生産していない。もちろん、ハミルトン社やタグホイヤー社も生産していない。
どこに行ったのか?[キャリバー11]は。
(キャリバー11のその後をご存知の方メール下さい。現在も引き続き調査中です。)
ちょっと判明。Cal.11のその後(98年10月17日修正)ブライトリング社が倒産後、破産管財人がブライトリングの生産設備をそのまま使って、
AVIATIONというブランドで時計を作り続けたが、現在は再度破産し生産していない。
日本国内では、大阪市の”タイムギャラリー”が輸入販売したが、同社も倒産した。
Cal.11のクロノグラフモジュールを開発した、デュボイ デプラッツ社は、
現在も現役でクロノグラフモジュールを開発している。
最近ブライトリング等の自動巻きクロノグラフモジュールは、KELEK社の要請により、
デュボイ デプラッツ社が開発し生産している(らしい)。
なおCal.11は後にヴァルジュー社により、Valjoux7740という手巻きクロノグラフとして生産を続けられたが、
これもおそらく、実際に製造していたのはデュボイ デプラッツ社と想像される。
ETA社の大合併の際、ヴァルジュー社は独自性を失い、Valjoux7740は生産中止となった。
しかしCal.11の子孫たちは、現在KELEK1000等の多くのクロノグラフのモジュールとして活躍している。
Cal.11は死ななかった!?
ジジさんのCal.11に対する思いが、掲示板に記されましたので、引用させていただきます。
投稿日 9月8日(火)01時29分 "Cal.11の憂鬱"
このCal.11は確かに“異大な迷器”です。また機械の出来そのものではなく
「歴史的な」という観点からとらえると“偉大な名機”であるかもしれません。
私はこのCal.11を見ると1960年代後半のスイス時計業界の憂鬱な雰囲気を
なぜか想像してしまいます。
この時期ブライトリング連合は、まだ誰も作り得なかった自動巻きクロノグラフの
開発に着手しながらも機械式時計が時代の節目にさしかかっていることを
感じ取っていたはずです。ちらほら現れ始めた電気式やクオーツ式の次世代
ハイテク時計への怯え。機械式時計が成熟期に入り付加価値よりもコストに
比重が移り始めた時代の不安。おそらく耳に入っていたであろうエル・プリメロへの
あせり・・・。これらの時代の憂鬱を凝縮してムーヴメントの形で具現化したものが
このCal.11であるような気がしてなりません。
いくつもの憂鬱を背負ったこの巨大な未熟児は結局連合各社の足を引っ張ることに
なります。機械式時計世紀末最後の不発弾・・・しかしこのムーヴは明らかに時代の
落し子であり、1969年のスイス時計業界を語る生き証人であるような気がします。
そういった意味でCal.11は“異大な迷器”であると同時に“歴史的に偉大な名機”で
あると思っていますし、逆にこの観点からするとエル・プリメロは“偉大なる鈍感”(失礼!)
であるかもしれません。
新技術への怯え、新時代への不安、そしてライバルへのあせり・・・。時代の徒花と言えよう。 dada@tka.att.nejp
この頁は、[世界の腕時計No.13][ブライトリング ジャパン
1997年カタログ]その他多くの本を参考にいたしました。
又、時計愛好家ジジさんからの助言により、多くの事実が判明し、参考にいたしました。ここにお礼を申し上げます。