自己紹介



当HPの作成者のDADAは時計屋さんでは有りません
個人売買等で、安く買った時計を高く売って、利益を得ることも有りません。
単なる、時計が好きなおっさんです。
私の時計について[買いたい]という希望には応じられませんが、
ご不要な時計を[売りたい]人は、遠慮無く連絡下さい
私が買わなくても、質屋や中古時計店での買い取り相場をお知らせします。

略歴
大学卒業後
1988年4月−1992年1月
この会社のシステム部に入社。新人研修後システム開発課に配属。
当時の社員番号KH2249。今は辞めたが、良い会社だった。

1992年1月-1994年9月
上記会社を辞職、性粘怪概凶力隊に入隊し、訓練後
ボリヴィアに2年半行く。
ボリヴィアでは国立電気通信学園(ICAPTEL)にて、コンピューター操作、プログラミング言語等の実習と
講義を行った。
ICAPTELは現在は民営化されたENTEL(日本のNTTとKDDと同じような役割)の一組織。

本来の希望任国は[コスタリカ]だった。
暖かい海。美人の産地。カリブ海のリゾート地・・・。
しかし[ボリヴィア]の私の任地[ラ パス]は、
標高4,000mのため、赤道直下なのに寒く(常秋)、酸素濃度は平地の1/3以下で、
ゴキブリや伝染病を媒介する虫も生存できない、過酷な土地であった。
体重も15kg減量した。

1994年10月
帰国5日目に凶力隊の就職カウンセラーから連絡があり、現在の会社に入社決定。
入社の条件は、
[最低2年間、インドネシアへ情報管理及びOA機器管理の専門家として赴くこと]
であった。帰国後直ぐに又海外に行くことには、多大な抵抗が有ったが、
[国内に仕事が無い]ということで、インドネシアに語学訓練後、赴任することになる。

1995年1月-1997年3月
インドネシアにて働く。仕事は、LAN管理・OA機器管理・適用業務システム開発等。
当時のインドネシアは、物価や政情は安定し、人々も温和で、実に過ごし良かった。

1997年4月
帰国し、現会社に復帰し、いろいろやっている。
業務内容は、某組織やその関連組織の、適用業務システムの開発と管理やLAN及びWANの構築と管理等。

特技:
スペイン語会話 (日常生活に、多少不自由する程度の語学力)
インドネシア語会話(時計を買うのに、不自由しない程度の語学力)


 

戻る